森林の生物多様性の生態学

土壌中の微生物から、林床の植物や哺乳類、林冠の昆虫や鳥類まで、森林には多様な生物が生息し、生物間のかかわり合いから複雑な相互作用ネットワークが成立しています。陸域の生物種の約8割が森林に依存していると言われており、森林の生物多様性や生物間相互作用について知ることは、地球上の多様な生物を保全し、その生態系機能を理解することにつながります。当研究室では、原生的な自然環境の残る奥秩父山地や、東日本の山岳地域を主なフィールドに、野外調査・野外実験・ゲノム解析・統計モデリングなどの多面的なアプローチを用いて、森林の生物多様性や生物間相互作用の成り立ちに関する研究を進めています。研究対象は森林に生育するあらゆる生物の集団です。特に、大きな環境変動イベントに着目して、森林の生物多様性や生態系機能にどのような変化が生じるのかを理解することを目標にしています。そして、得られた知見を森林の動植物や生態系サービスの保全に役立てていきたいと考えています。

現在の研究プロジェクト

  1. ニホンジカによる植生衰退が森林の生物多様性に及ぼす影響
  2. 森林の植物-土壌フィードバックにおける土壌微生物の役割
  3. 人間社会と野生動物の軋轢の緩和に向けたアプローチの提案
  4. 森林の生態系機能を活用したカーボンニュートラルへの貢献
  5. 鳥類群集の機能的冗長性が森林のレジリエンスを高める条件
  6. 山岳地域に固有な動植物の保全に向けた気候変動への適応策

ニホンジカによる植生衰退が森林の生物多様性に及ぼす影響

年、日本各地でニホンジカの個体群密度が増加し、森林に大きな変化を引き起こしています。その背景には、狩猟の減少などの社会的課題があり、解決は容易ではありません。奥秩父山地においても、2000年代にシカ密度が10倍以上に急増した結果、シカの摂食によって森林の下層植生の減少や上層木の枯死が進みました。このような植生衰退に伴い、森林の恩恵であるさまざまな生態系サービスが損なわれることが懸念されています。例えば、植物や腐植を資源とする昆虫類が減少し、昆虫類を餌資源とする高次捕食者の生息環境が失われることで、森林の生物多様性や生物間相互作用が変化する可能性があります。また、シカの好まない窒素含有量の少ない植物だけが残ることにより、リター分解と窒素無機化が減少して物質循環が遅くなり、森林の世代交代に影響を及ぼす可能性があります。シカによる植生衰退の影響は多面的ですので、森林生態系のさまざまなプロセスの変化を長期にわたり調べていく必要あります。そこで、広域的に多くのシカ排除柵を設置し、植物・動物・微生物の多様性とそれらの相互作用の変化を解明するとともに、生態系機能への影響を明らかにすることに取り組んでいます。

森林の植物-土壌フィードバックにおける土壌微生物の役割

植物の生育に土壌との関係が重要であることは、農業において古くから知られてきました。近年、この植物と土壌の関係が陸域生態系の動態を決定する普遍的な役割を果たしていることが明らかにされています。例えば、植物がリターや根滲出物を土壌に供給し、これらを利用する分解者が養分を無機化することで、植物の成長を促進することがあります。一方、植物が成長するにつれて、近くの土壌に植食者や病原菌が集まり、植物の成長を制限することもあります。このように、植物と土壌の相互作用は促進的にも制限的にもなりますが、介在する未知の要因が多く存在するため、植物と土壌の関係は単純ではありません。その要因の1つに、土壌微生物の多様性と機能が挙げられます。特に植物の適応度と関係する特性をもつ機能的コア微生物叢の役割を明らかにすることが、植物-土壌フィードバックの理解につながると期待されます。現在、樹木実生や土壌の移植実験、機能的コア微生物叢のメタゲノム解析を通じて、森林生態系における植物-土壌フィードバックのメカニズムの解明に取り組んでいます。この知見をシカ食害下の植生回復や放棄人工林の天然林誘導に応用することを目標にしています。

人間社会と野生動物の軋轢の緩和に向けたアプローチの提案

農業被害や住宅地への出没など、野生動物と人間社会の軋轢が社会問題として認知されつつあります。野生動物による農業被害は1990年頃から顕在化してきましたが、シカだけでなく、多くの野生動物による被害が同時に増えてきたという特徴がありました。このことは、野生動物の問題が単純な狩猟の減少だけでなく、自然環境の構造的な変化に起因することを示唆しています。その1つとして、拡大造林によって、広葉樹の天然林が針葉樹の人工林に置き換えられ、野生動物にとって資源の乏しい生息地が奥山に広く作り出されたことがあります。一方、薪炭需要がなくなることで、かつて人里周辺に広がっていた疎林が広葉樹林へと遷移し、野生動物にとって資源の豊富な生息地が人里周辺に出現したこともあります。そのため、このような環境の変化と野生動物の動態の関連を明らかにする必要があります。また、森林内の人間活動が減ることで、野生動物が人を恐れなくなっていることも指摘されています。現在、カメラトラップや環境DNA分析を用いて、農山村から森林にわたる野生動物の地域的な生息地利用を解明し、人間社会と野生動物の軋轢の緩和に向けたアプローチの提案を目指しています。

森林の生態系機能を活用したカーボンニュートラルへの貢献

気候変動への対応が社会課題となる中、カーボンニュートラルの実現には、生態系機能を活用する自然に根ざした解決策の設計と社会実装が欠かせません。森林は重要な炭素貯留基盤であり、土壌炭素蓄積は森林に蓄えられる炭素の大きな部分を占め、滞留時間が長い「長期ストック」として注目されています。日本の森林面積は国土の約70%に及び、そのうち約40%はスギ・ヒノキ・カラマツなどの人工林です。これらは拡大造林政策により成立しましたが、国産材価格の低迷などにより、間伐等の保育作業が十分に行われていない林分が少なくありません。管理状態の変化は、植生構造や有機物供給、土壌水分環境、微生物による分解過程を通じて、土壌に入ってくる炭素の供給と分解・安定化のバランスを変え、土壌炭素蓄積の量や安定性に影響を及ぼします。そこで、本研究では、地上部バイオマスだけでなく地下部に焦点を当て、人工林の管理状態(間伐履歴・密度・林分構造など)と土壌炭素蓄積の関係を定量的に評価します。さらに、天然林誘導や間伐強度の調整などの施業の効果を実験的に検証し、土壌炭素蓄積の増加(特に安定化炭素の形成)に有効な管理手法を明らかにすることを目指します。

鳥類群集の機能的冗長性が森林のレジリエンスを高める条件

Great spotted woodpecker

森林の鳥類は、植食性昆虫を捕食して樹木の食害を抑え、果実や堅果を運んで樹木の更新を助け、樹洞を掘って多様な生物のすみかを生み出すなど、重要な生態系機能を担っています。気候変動やシカ過密化により森林環境が変化する中で健全性を保つには、鳥類が担う機能そのものを維持・回復することが鍵になります。本研究では、森林撹乱や管理(間伐・針広混交林化・老齢木や枯死木の保持)が鳥類群集の構造と機能に与える影響を明らかにし、機能的冗長性(同じ機能を担う種が複数いる状態)と機能の安定性(種数が減っても機能が落ちにくい性質)が、どのような条件で森林のレジリエンス(回復力)を高めるのかを検証します。具体的には、鳥類の生態系機能を、捕食圧(巣箱を用いた操作実験や食害痕の定量)、種子散布(糞中種子の同定、自動撮影カメラやDNA分析)、樹洞供給(樹洞密度と利用者のモニタリング)などの指標で定量化し、鳥類群集の変化を機能の多様性・安定性・冗長性の観点から評価します。そして、撹乱下でも機能が維持される条件を特定し、間伐強度や広葉樹混交率、老齢木・枯死木の残し方など、鳥類機能の維持・回復に資する森林管理手法の提案を目指します。

山岳地域に固有な動植物の保全に向けた気候変動への適応策

近年、集中豪雨や気温上昇など、極端な気象が各地で頻繁に報告されています。これらは気候変動に伴う現象であると考えられ、生物のフェノロジーや分布域の変化を引き起こし、生物多様性や生態系サービスに影響を及ぼすことが懸念されています。特に、山岳地域に固有の動植物は気候変動に対して脆弱であると考えられます。例えば、奥秩父山地では石灰岩地に適応した植物種が数多く生育しています。しかし、石灰岩植物の集団は非常に小さく、気象条件の変化やそれに伴う他の動植物の分布域拡大によって容易に失われる可能性があり、保全に向けたアプローチが必要です。このような気候変動の影響への対策として、他のストレス要因を低減することによって、気候変動に対する生物の適応可能性を高めるアプローチがあります。また、気候変動の影響を評価しリスクの高い地域や生物を特定する必要もあります。気候変動への適応策を検討することにより、山岳地域の生物多様性と生態系サービスの保全に貢献できると期待されます。現在、野外調査とゲノム解析を組み合わせて、山岳地域に固有な動植物の分布と適応可能性を解明し、その保全に向けて気候変動への適応策の検討を進めています。